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​哲学知識と実践コーナー

【哲学】とは人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観。▷ ギリシア philosophia (=知への愛)の訳語。「哲」は叡智(えいち)の意。

​ 普段何気なく考えている私、愛、恋、生きる意味……等等。これらの本質を知ることが哲学であり、それが出来てライフスタイル​に生かしてワクワクした生活にすることで更なる「X]を見出すことに貢献できたら・・・・!!!

哲学2 哲学は“たしかめ可能性”を追う

 西洋哲学の源流は、今から2600年ほど前の、古代ギリシアにさかのぼる。エーゲ海、イオニア海、地中海と、海に囲まれたギリシアには、当時からさまざまな民族が行き交っていた。だからきっと、異なる宗教や神話をもつ人びとの間に、激しい争いも起こっていたにちがいない。
 古代ギリシアの哲学者たちは、そんな社会背景において現れた。
 最初の哲学者と言われているのは、タレスという男。彼はこんなことを考えた。
 宗教は、人種や文化によってあまりにちがいがありすぎる。それに、それぞれの宗教の神話が本当に正しいのかどうか、“たしかめる”ことができない。だから、神話による世界説明にはちょっと無理がある。
 そこでタレスは、自然をじっくり観察してこう考えた。「生物が生きるのに必要不可欠なのは、水だ。それにまた、世界は広大な海に覆われている。ということは、万物は、その根本においては水でできているにちがいない!」
 有名な、「万物の根源(アルケー)は水である」という説だ。

 人類の知の歴史から見れば、ここにはある重要な進歩があった。なぜならタレスは、「水」というキーワードを、信じるべき“神話”としてじゃなく、みんなで“たしかめ合う”べき原理として示したからだ。
 実際、その次のアナクシマンドロスという哲学者は、「いや、水なんていう言い方では不十分だ。万物の根源(アルケー)は“無限なもの”であると言うべきだ」と言って、タレスを批判した。その弟子のアナクシメネスは、「いや、それは空気だ」と言って、師を批判した。
 哲学の歴史は、弟子が師匠をとことん批判してきた歴史であると言っていい。その点、教祖さまの教えを忠実に守る宗教とは対照的だ。
 先人のすぐれた思想を受け継ぎながらも、足りないところは徹底的に批判する。そして、思考をもっと先へと展開していく。それが哲学の精神なのだ。

 このように、哲学は“たしかめ可能性”を追うことで、“たしかめ不可能”な神話や信仰をめぐる争いに、何とか終止符を打とうと考えてきた。まさに、宗教は哲学の母なのだ。
 もちろんこれは、どちらがすぐれているという話じゃない。宗教には、宗教独自の意義がある。とりわけ、それが人びとの心に平安を与える力は、やっぱり偉大だと言わなきゃならない。
 それに、前にも言ったように、人間精神の総合デパートである宗教には、科学的な精神や哲学的な精神がもともと含まれている。哲学は、その中から、“たしかめ可能性”にとことんこだわる精神を意識的に取り出して、これを磨き抜く道を歩んできたのだ。

哲学は科学に取って代わられた?
 さて、でも鋭い読者の皆さんは、こんなギモンをもたれたかもしれない。
 あれ? でもそれなら、哲学と科学はどうちがうの? と。
 世界を“たしかめ可能”な仕方で説明するのは、今ではもっぱら科学の仕事だ。タレスやアナクシマンドロスやアナクシメネスたちが考えたことは、今では、宇宙物理学や量子力学なんかが、当時とは比較にならないレベルで研究を行っている。
 ということは、現代においては、哲学は科学に取って代わられたということなのだろうか?

 いや、そんなことはない。むしろ哲学は、今でもなお、科学の土台であると言うべきなのだ。
 

哲学2
哲学1

哲学1.民主主義とは

 私たちが暮らしている民主主義社会。その源流は、200年以上も前の、ジャン=ジャック・ルソーやG.W.F.ヘーゲルといった哲学者たちが見出した「よい社会」の“本質”にある。

人類は、1万年以上にわたって、激しい命の奪い合いか、そうでなければ権力者が支配する時代を生きてきたのだ。この悲惨な戦争を、どうすればなくすことができるだろうか? これは、哲学者たちが何千年も考えつづけた問いだった。

 ヨーロッパでは、17世紀にトマス・ホッブズという哲学者が現れて、戦争をなくしたければ、みんなの合意で最高権力者を作り出し、その人に統治してもらうほかないと訴えた。

 ここで重要なのは、「みんなの合意で」という点だ。ホッブズは、ヨーロッパの絶対王政を理論的に支えた人、と言われることもあるけど、それはちょっと言いすぎだ。ホッブズはホッブズなりに、だれにとっても平和な「よい社会」の本質は何かと考えたのだ。 たしかに、権力者が社会を統治すればひとまず戦争はなくなる。でも、そうすれば大多数の人民は、ただ支配されるだけの自由のない存在になる。

 そこで現れたのがルソーだった。彼は言った。ホッブズは、人民は権力者に従えと言った。でも、これをある意味ではひっくり返す必要がある。つまり、いったん作り上げられた権力もまた、人民の合意に従わせなければならない。強力な権力者が、ではなく、みんなの合意によって社会を作ろう。ルソーはそう訴えたのだ。そしてそれが、現代の民主主義社会の土台になった。(「哲学ってなんだ:苫野 一徳」より)

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